環境会社ウェイストボックス社長のブログ
ウェイストボックスの立ち上げからその後の成長までを日記にします。
リサイクル、アスベスト、資源再利用にご興味のある方はお読み下さい。

2010年

 2010年に入り、地方でも徐々に排出権取引が広がってきました。
制度上は、2008年後半から、国内クレジット制度もJ−VER制度も始まりましたので、それから考えると3年目になりました。地方でも、先進的な企業では2009年ころから、排出権の仕組みを使って、省エネや森林保全などを価値化するなど、新たな取組みが始まりました。

ウェイストボックスでも、そうしたいわゆるソフト支援事業を少しずつ行うようになりました。
排出権の関係のものは、制度もすごい勢いで変化していますし、社会環境も大きく変わるので日々勉強をしていないと、なかなかついていけないという特徴があります。
弊社でも、エコグッズの販売で関係のあった製造業や、卸売り企業さんなどを中心に排出権の仕組みを案内し、少しずつ参加してもらうようにしました。
売上げとしては、それほどでもありませんでしたが、ウェイストボックスとしては、これまでのCO2算定事業の延長で対応できたため、スムーズに移行できました。
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2009年

リーマンショックの余波の中、2009年が始まりました。
弊社でやっているCO2算定事業は、徐々に広がりJTB中部さんなど大手さんでの実績も着実に増えていましたが、まだまだ勢いに乗れない状態が続いていました。特に中部地区は、製造業主体であるということもあり、雰囲気的に減産・減産で、良い話は一向にないそんな時期が続きました。

一方再生資源の販売事業も、リーマンショックの影響を受け、単純な素材の販売だけでは利益的に厳しい状況になりました。そのため、素材のままではなく、加工を加え商品として販売するところまでなんとかしようとしていました。その動きの一つが、MODECOブランドです。これは消費者向けでしたが、企業向けでも多くの提案活動を行いました。

MODECOのほうは、一緒に事業を始めた水野さんの努力で、最近では百貨店などでも販売するなど、大分ブランドとしての価値が出てきています。

この頃は、特に目立ったことはしませんでしたが、CO2算定事業にしても再生資源の販売事業についても下積み時代だったと思います。かなり市場環境の厳しい中で両方とも、少しずつサービスとしての形を作っていきました。今弊社で行っているCO2算定、カーボン・オフセットなどは、この時期に作った見積もりフォーマットや、納品形態をベースにしています。

よく3年一区切りといいますが、本当にこの2009年、2010年、2011年の3年間は一つの区切りであったように思います。私はどちらかというと、新しいもの好きで、どうしても市場の動きよりも早くいろいろやりたがるのですが、2009年の段階ではCO2算定も、カーボン・オフセットも少し早すぎたように思います。特に中部では、東京に比べて遅いですからなおさらです。

カーボン・オフセットという単語も、サステナビリティ型のエコ商品というコンセプトも全てが早すぎ、多くの人には全く理解してもらえませんでした。

そして、2010年に入ります。

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2008年 リーマンショック

2008年のリーマンショックは本当に大きな出来事でした。
リーマンショックがおきる前までは、排出権取引制度は、キャップ&トレードの方式での雰囲気が主でした。それが、工場の稼動縮小と長引く不況で、そんな雰囲気は一変しました。

そもそも、排出量はどんどん減少し、あえて排出権を利用してまで削減する必要が薄れたのです。
国内クレジット制度も、J−VER制度も、排出権の使い道そのものが曖昧になってしまいました。

今でも覚えているのですが、08年の前半はCERがどんどん値上がりし、仕入れ値が毎月高くなりどうしようか悩んだものでした。それが、一気に冷え込みその後3年を経過します。今では、日本政府の動きもあり、CERは非常に値を落としています。

08年多くの企業が、CO2関連事業に新規参入しましたが、こうした冷え込みをうけて多くの会社は1、2年で、撤退してしまいました。新規参入した企業の多くは東京でしたが、名古屋でもそうした話しはいくつかありました。

うちの場合は、元々事業規模が小さかったので、軸足を排出権というよりは、LCAなどのCO2の見える化にポイントを絞り、その延長でカーボン・オフセットサービスの提供を行うという軸で、地道にお客様を開拓しながら、2009年を過ごしました。

市場が冷え込んでいるからなのかもしれませんが、弊社でCO2算出をさせていただいた会社は、大手企業か中小でも優良企業さんが多く、この頃から急速に客先が大手になりました。大手さんは、契約条件も厳しいですし、納品の品質もかなりのものを要求されますから、この時期に非常に勉強させて頂きました。

最近ある自治体のカーボン・オフセット普及啓発の事務局の委託でカーボン・オフセットの実績を洗い出したのですが、2009年、2010年は、数多くの企業さまを担当させて頂きました。うちの場合は裏方に徹する場合も多く、あまり表に社名を出さないのですが、中部地区ではそれなりの件数を行いました。


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2008年 京都議定書スタート

 ウェイストボックスにとって、2008年は大きな年でした。
京都議定書のスタート、そしてもう一つはリーマンショックがありました。

ウェイストボックスでは、2007年末頃から徐々にですが、CO2算出の仕事を貰うようになっていました。主にエコ商品の販売や仕入れの関係で知り合った企業さんから、”エコ商品を売っているのだけど、どれだけ環境負荷を下げているか知りたい”というような話が多くなってきたのです。

リサイクル品の多くは、再生工程の為に思った以上にエネルギーを使う場合も多く、多くの企業担当者がエコ商品とはいいつつも、本当にエコかどうかを結構心配していたのです。実際そうしたエコ商品はLCAをやってみると、バージン材から作る場合に比べて、環境負荷は高くなっていることが結構ありました。ただ、公表するかどうかは別として、こうした数値的な根拠を持ちたいというニーズは結構強いものがありました。

そして、その延長として、算出したCO2排出量を排出権を用いてカーボン・オフセットするというサービスも始めました。当初は、排出権のことなど全く知らなかったのですが、たまたま前職の会社がイギリスの企業と提携し、日本でもカーボンオフセットサービスを始めており、いろいろ技術指導をしてもらったのです。

カーボン・オフセットとは、話としてはそれほど難しいものではないのですが、しっかりやろうと思うと排出量算出については、LCAやCFPなどの知識が必要になってしまいますし、排出権の移転・無効化についての知識も必要になってしまいます。その点リサイクルワンは、既にかなりの件数をやっていたので、最新の技術や知識を教えてもらうことができました。

政府のほうでも、京都議定書のスタートに合わせて、国内クレジット制度や、J−VER制度などの国内の排出権取引制度、カーボン・フットプリントなどのCO2算定基準などが、急ピッチで整備されていました。

ウェイストボックスでも、こうした社会の流れの変化をうけて、それまでのゴミの売買という仕事からCO2算定事業に徐々に軸足を移しました。CO2算出の仕事を請け負うことによって、徐々に社員を雇う余裕が出てきて、やっと少し会社っぽくなったのはこの頃でした。

2008年には、携帯で商品のCO2排出量を見える化するサービスであるカーボントレースをを発表し、まさにこれからという雰囲気になっていました。

そんなところを今度はリーマンショックが襲います・・・。


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エコ商品の販売代理店をはじめた

 前回に引き続き、設立当初の頃の話です。

会社設立から、1年間とにかくゴミを集めました。しかし、転売することも出来ず、当然ながら売上げもあがらず、なんとも身動きの取れない状況に追い込まれていました・・・。

そんなある日、ゴム屑や廃タイヤから商品を作り販売している会社の社長と出会いました。その社長から、食べていけないなら、ゴミを集めるのではなく、廃材からつくったエコプロダクツの販売をやらないかという話しを頂きました。2007年頃のことです。

会社としては、当初ゴミコストを削減することを事業の柱にしようと思っていましたから、実際にゴミから作ったものを売るとなると大分イメージの異なる話しでした。ただ、実質何も出来ていない状態でしたので、しばらくの間お世話になることにしました。

そして、一旦ウェイストボックスは単なるエコ商品の販売代理店として再スタートすることになりました。毎月固定ということではありましたが、販売活動費用を頂くことができましたから、僕は毎月売上げのあがらない恐怖からは解放されました。ただ、一方で自分の思うような事業を展開できない寂しさを毎日感じていました。でも、今思えばそんなことは単なる甘えでしかありません。
結局自分の事業計画が甘いから、そうなるのです。

なお、それから1年強その会社の方々には大変お世話になりました。ひとりぼっちであった僕を仲間として迎えいれてくれ、大変ありがたったです。僕としても、何とかその商品を売ろうと、とにかくいろいろなところに売り込みにいきました。そのいくつかは、取り引きが始まりましたが、なかなか簡単には売れませんでした。ただ、だからこそ商品のCO2排出量を調べたり、排出権を活用してカーボン・オフセットして何とか売り込んだりと、今の仕事につながる経験をたくさんさせて頂きました。

愛知県の経営革新事業の認定をうけたり、知財関係の支援をうけたりと少しずつ準備をしていました。そうして、廃タイヤやゴム屑から作った商品を売りながら、少しずつ自分のやりたい仕事の割合を増やしていきました。そうして設立から3年を経過しました。







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設立から半年

 2006年2月にウェイストボックスは、仲間3人で、中古ショップで買った1万円の大きな机と、貰ってきた背もたれのない椅子2つで始めました。事務所は、名古屋市東区の小さなプレハブ建物で、そこに机と椅子を並べてスタートしました。
今でも初日のことはよく覚えています。初日ということもあり、朝9時には会社に行きました。
でも、まだ初日で電話もつながっていないですし、暖房器具もない状況でした。部屋の中でも、息が白くなるくらい寒く、手はかじかんでしまい書類もめくれない状況でした。あまりの寒さに耐え切れず、仕方なく昼には近くの喫茶店で暖まらせてもらいました。
こんなことで、この先大丈夫かな、暖かいコーヒーを飲みながら、近くの喫茶店にいたことを思い出します。
次の日は、あまりの寒さで仕事にならないことが分かったので、近くのガス屋さんにファンヒーターを買いに行きました。それから、中古のFAXを入れたり、家庭用のプリンターを入れたり少しずつ備品をそろえていきました。

一方仕事のほうはというと、毎日当時一緒にやっていた林君と片っ端から、名古屋市内の工場に電話をかけて、”何か困っているゴミはないですか?”と聞きました。何かあるといわれると、とにかくアポイントをとって見にいきました。最初は食品工場にポイントを絞ってまわりました。

卵工場、味噌煮込みうどん工場、カップスープ工場、豆腐工場、ガム工場・・・・、数十件はまわりました。それぞれに、卵の殻や、甘い香りのついたフィルム、煮干がら、汚泥、粉末スープ・・・・、とにかくいろいろなゴミがありました。

これらを何とか、他に転売できれば。僕らはとにかくいろいろな工場を回り、様々なゴミを事務所に持ち帰りました。後から知ったのですが、事務所の前には小さなクリーニング屋があって、その方は”あの会社は一体何をやっているのだろう?毎日何か盗品らしきものを事務所に運んでいる”そう思っていたらしいです。

それから半年、結局そうしたゴミは転売も出来ず、なんの売上げもあがらない辛い日々が続きました。一緒に始めた仲間も、一人また一人と僕の前からいなくなり、実質一人ぼっちになってしまいました。会社に名前は残しながらも、それぞれ別の仕事を始めたのです。結局会社というものは、一緒にやっていく仲間をたべさせなければ続けられない。本当に当たり前のことなのですが、僕はその時その現実を思い知らされました。





ちょっと一息… | permalink | comments(0) | trackbacks(0)